音楽好きがみんな観ているので、『ボブ・マーリー ONE LOVE』を観にいく。梅田でのロードショウがもう終わるので、いつものごとく駆け込みで。
結局のところ、音楽家の政治に対する回答は、「ワンラブ」でしかない。
ナイフや銃を手に取るのではなく、どれだけ牧歌的と言われようと、どれだけ無邪気と言われようと、音楽家や詩人や舞踏家は、「ワンラブ」を表現するしかない。表現し続けるしかない。
大きな声で、小さな声で、目の前に立つ人に、はるか向こうで座り込んでいる人に届けと、「ワンラブ」を表現する。
戦争に、分断に対抗するものとしての「ワンラブ」。
それが、表現する人間の、政治に対するおとしまえのつけかたなのだ。
ボブとリタと、ピーター・トッシュらとその後の後期ウェイラーズと。ロンドンにはクラッシュのジョー・ストラマーもいたな。
1976年、カリブ海に浮かぶ小国・ジャマイカは、独立後の混乱から政情が安定せず、対立する2大政党により国民は分断されていた。
30歳にして国民的アーティストとなっていたボブ・マーリーは、彼の人気を利用しようとする国内の政治闘争に巻き込まれ、暗殺未遂事件に巻き込まれる。
しかし、その2日後、ケガを押してコンサートを敢行。対立する2大政党の党首をステージに上げ、2人を握手させる。後に伝説となった「スマイル・ジャマイカ・コンサート」だ。
翌1977年、身の危険からロンドンへ逃れ、あの名盤「エクソダス」を完成させ、ヨーロッパ・ツアーを敢行。人気は世界的なものとなった。
その頃のボブが描かれている。
ウェイラーズの曲が30曲ほどは流れただろうか。
ボブ・マーリーの曲なんざ、TOP30くらいはすべて世界遺産みたいなもんだが、闘いの曲に混じって奏でられる、「Is This Love」がいいな。
ラブソングだって、いや、ラブソングこそ、音楽家の政治に対する回答だ。
だって、「ワンラブ」だから。
1977年、
プエルトリコからNYに飛び火したファニア・オールスターズがNYでライブをおこない、熱狂の暴風雨を吹き荒らした。
ナイジェリアではフェラ・クティが「Zombie」を発表して、アフリカ大陸中に黒い精子を撒き散らした。
マラドーナはアルゼンチン国内で年間最優秀選手に選ばれ、世界に〝発見〟される直前の位置にいる。
77年や78年は、地球の南側が熱かったのだ。
1978年、日本では三宅洋平が生まれた。
三宅は、2013年、福島原発事故直後の参院選に出て、落選候補最多の17万票を獲得して落選した。
あのときの選挙では三宅は、ボブの「Redemption Song」を歌った。ボブの蒔いた種は世界中に飛散した。
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