天神祭 御羽車の天神橋筋商店街巡行。
江戸時代の天神祭では御神霊の渡御には鳳神輿と玉神輿が使われていて、御羽車はそれ以外の遷座用に使われていた車。
明治期に御鳳輦が登場し、御羽車は一旦その役目を終えるのだけど、戦後の天神祭復興の機運のなか、天神橋筋五丁目の中辻喜十郎さん、六丁目の岡本さん、三丁目の前川さんらの発議により、昭和24(1949)年に御羽車講が結成された。同年に滋賀県大津市の日吉神社より大阪天満宮を経て御羽車を譲り受け、渡御列に奉仕するようになったのだとか。
その後、昭和32(1957)年に装飾用の錦旗を新調し、昭和45(1970)年には台車を誂えて氏地巡行をおこなうようになった。
現在の御羽車は、令和元(2019)年には全面的な修繕をおこなったもの。
女性だけのみこし巡行、通称「ギャルみこし」の先導をおこなっている。
そして、全国のおとーさん、お待たせしました!
天神祭 ギャルみこしです(笑)
ギャルみこしの正式名称は「天神祭女性御神輿」。
オーディションで選ばれた総勢80名の女性がみこし2基を担ぎ、天神橋筋商店街を練り歩く。天神橋筋商店街は直線距離としては日本一長い商店街、全長約2.6キロ。歩いて平均40分。そこをギャルみこしが練り歩く。
ギャルみこしがはじまったのは、1981(昭和58)年。天満・天神の明るいまちづくり、大阪文化の発展を目指して企画されたのだけど、じつは、第1回目は天満宮への参拝を認められなかったのだ。
しかし、2回目よりも御羽車講巡行の一環として参拝が認められた。御羽車は菅公さんの私用車ね。
以降、評判は海を超え、オーストラリア・クイーンズランド州やアメリカ・サンフランシスコ市の招待を受け、親睦の輪をひろげる一助を担ってきたのがギャルみこし。
以来、コロナ禍の3年間の中止を挟んで、毎年の参加を積み重ねて、今年で41回目の参加を数えた。
天神祭は1000余年の伝統を誇るお祭りだけど、頑なに伝統を守っているだけでなく、時代に即して変化を恐れずに変わってきた。だからこそ、1000余年も続いてきたと言えるわけです。
ギャルみこしはその最たるもので、彼女たちのおかげで祭りの裾野は広がり続けている。
中心の神事が不変であれば、祭りの周辺は変えてもいいのだし、そこにこそ、変化を恐れない大阪のまち文化が息づいているのだし。
ギャルみこしって、その象徴ですな。
オーディションを経てメンバーが選ばれる仕組みは、たぶん、3回目から。
かくし芸の披露だったり、ぶら下がり持久戦だったり、米俵持ち上げコンテストなど、選考方法がいろいろ凝っていておもしろいのよ。それもまた評判になっている。
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