梁石日

梁石日の訃報に触れる

梁石日の訃報に触れる。

『タクシードライバー日誌』『族譜の果て』『断層海流』『夜を賭けて』『血と骨』…、若い頃に読み漁ったこれらの本は僕の人生を豊かにしてくれたし、大阪の歴史を見る際に「在日コリアン」の視点を植え付けてくれ、歴史を見る解像度を上げてくれた。もちろんそれは、移民の視点でもある。ワシはペルーへの移民でもあるからな。

『夜を賭けて』は、戦後、大阪砲兵工廠の残骸から夜な夜な生活のために屑鉄を掘り起こして警官らと死闘を繰り広げていたアパッチ族を描いた作品だ。無論、そこには在日コリアンの一派もいた。

在日コリアンたちのアパッチ族が命懸けでパクった鉄屑は、海の向こうで祖国を分断する戦いに使用されるという、悲劇としか言いようがないパラドックスを生んだが、生きるということは、そういうことでもある。

死闘の果てに壊滅したアパッチ族とその後に収監された長崎の大村収容所での特異な生活が詳細に描かれ(そもそも大村収容所の特異な位置付けよ!)、徳田球一と共産党が登場し、北朝鮮への帰国事業、「北組」「南組」の対立とセクト主義、生野の親子爆弾事件などに触れ、やがて時空を飛び越え、大阪城公園に姿を変えた彼の地でのワンコリア・フェスティバルで句点が打たれ、戦後50年が総括される。

物語中、風景のひとつとして、「クッ」が登場する。

済州島で伝わってきた悪霊祓いのイニシエーションで、読経、占い、舞、お祓い、撒酒、撒米、冥銭を燃やす、豚を食べる、供物を川に流すなどのイニシエーションが三日三晩、ムーダン(巫女)によって執り行われる。

陸奥さんの大阪まち歩き大学で桜ノ宮から京橋までを逍遥した折、大川の源八渡周辺にかつてあったバラック群のひとつ「龍王宮」で「クッ」が執り行われたことを知り、一気に身近なものになったことを覚えている。

そのように、大阪の歴史を探っていくとき、「在日コリアン」の視点は、大阪の歴史の理解のための補助線となってくれる。

近年だと、深沢潮の『海を抱いて月に眠る』や『ひとかどの父へ』がグッときた。どちらも、深沢さんのお父さんと思われる人がモデルで、父のルーツを知り、自分は何者なのかと思春期らしい心の揺れがあり、民族性と近代政治を背景としながらも、どこにでもある思春期の自分探しの物語に着地させることで、立場を超えて普遍なものになっている。

そんなふうにして、僕が、大阪の歴史を見る際に在日コリアンの視点、つまり移民の視点を持てるようになったのは、梁石日の作品群に出会って以降だ。

我が国の正史は、基本的には定住者の歴史なので、越境した者や祖国を後にした者の歴史は、理由はどうであれ、正史からはこぼれ落ちていく。こぼれ落ちるものを掬う存在としての語り部である梁石日と若い頃に出会えたことは、僕にとっては果てしなく大きなことだ。

梁石日の訃報に触れて、『夜を賭けて』を引っ張り出して、目につく箇所を気ままに読んで、冥福を祈っている。

梁さん、ありがとう。合掌。

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