15年ほど絶交していたおかんと3年前に付き合いが再開して、それ以来、年1くらいで会っている。
今日、たぶん1年ぶりに。
終戦後数年して、おかんと(ワシの)祖母は、「うどんの今井」にちょいちょい行っていたらしい。
うどんの今井はそれまで楽器屋さんだったが、戦争で食べるものがなくなったときに、みんなに喜んでもらいたくて、うどん屋になったんやったっけ?
おかんは昭和16年生まれで、終戦の年は4歳、今年で84歳だ。
鴨なんばをよう食べていたらしいが、ようそんな贅沢なもんがあったもんだ。
ちなみに、ワシの母方の祖母(島崎家)は飛田の遊郭を経営していた家の出で、祖父(阪井家)は駒川で平野一大きい質屋をやりながらコーヒー豆を扱う会社を経営していた家の出で、金持ち同士の見合い結婚で、オカンは、聖バルナバ病院で生まれ、プール女学院に中高と通っていた超お嬢だった。
おかげでびっくりするくらい世間知らずだが、そんな話は追い追いファミリーヒストリーに盛り込んでいくとして、今井である。
鴨なんばと鯛の笹寿司を食べながらメニューを見ていると、「わらび餅」とある。
するとおかん、わらび餅、必ず食べてたわ!と。
なので、追加で注文。
店に聞くと、人気のメニューらしい。1個が5センチ角で、1人1個でじゅーぶんな代物である。
うまい。うまいが当時と同じ味なのかどうかは、店の人に聞いても分からん。
その後、法善寺横丁へ行き、祖父と祖母が戦後3年目にはじめた喫茶店「ハワイアン」のあった場所を見にいく。
おかんのかすかな記憶から場所は特定できた。
おかんは小学生だった。
で、写真の一枚もない。
参道にある、現在の「鮨処 なかたに」の場所にあったそうだ。法善寺さんの墓地の隣ですな。
その後、アラビア珈琲に行く。
アラビア珈琲は1951年創業で、祖母の「ハワイアン」はおそらく1948年創業と思われる。
アラビア珈琲は現在まで続く名店だが、「ハワイアン」は洋楽のレコードを流してよう流行ったらしいが、祖父が誰かの保証人になってハンコをついて、そのカタに店ごととられたそうだ。
人生山あり谷ありである。
とりあえず、そこまでは分かった。
「ハワイアン」が借金のカタに取られて、おかんは祖母の実家である飛田の遊郭で1人で3年ほど暮らし、そこからプール女学院に通っていたらしい。(なぜ家族と別れて暮らしていたのかは、よく分からない。調査中)
写真の見取り図は、そのときのお屋敷。
2階が遊郭のお座敷で、1階は家族が暮らすスペース。そこに、高校生のおかんは家を離れて1人で祖母の実家に暮らしていた。見取り図を書いてもろた。
今の飛田新地の大階段を降りた右手にあった遊郭ですと。
一等地やんかいさ。どえらい金持ちやったんやな。まあ、女中さんが何人もいたと言うしな。
詳細はファミリーヒストリーおかん編できっちりまとめるが、取り急ぎ、備忘録として。
僕のファミリーヒストリーの、おとん方編は、こちら。
https://note.com/luis0117/m/m0906c469858b








コメントを残す