ハルカス美術館で「円空展」。少し前に行った。
円空の刻む仏さんは単純に素朴な彫刻だと思っていたのだけれども、こうしてじっくりと拝んでみると、そんな簡単なものではなかった。
一木造なので、木の特性を読み切って、木に委ねるようにして彫ってるんやな。
木も長きを生き、年月を経ると、仏となる。その仏性を、円空さんは見出し、木から取り出しているのだろう。
だから、抽象的になる。
仏像をつくろときには、持ち物や姿、与願印などの手の印相を定めた規則がいくつもあるが、円空さんはそれらを無視して、抽象的に表現する。

空也、一遍、円空、木喰のように、全国各地を旅しながら説法をしたり念仏を広めたり、仏像を彫ったりした、遊業する僧の系譜があった。彼らは定住せず、寺院を持たず、物に執着せず、すべてを捨てて旅に出た。
諸行無常を地で行った。それこそが、仏教の本来の姿のような気がするなぁ。持たない、というのも、元々の仏教の本分なのだから。

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