というわけで、僕の氏は父の代に「座馬」から「浅香保」に改名された。理由は分からん。分からんが、これからも八方手を尽くして解明しようと思う。
それとはまったく関係なく、今日、仕事で近くまで行ったので、坐摩神社に立ち寄って、参拝してきた。「ざま」つながりね。西本町の中央大通からちょい南側に鎮座している。
坐摩さんは、通称「ざま」さんで、正式には「いかすり」神社と読む。トップに来るレベルの大阪の難読名称やね。
「いかすり」は、神武天皇を守護する5柱の神の総称と聞いたことがあるが、僕は詳細は知らない。
それも興味深いところだが、もひとつ興味深いのは、この場所の地名。
ここは「九太郎町4丁目 渡辺」という地名なのだ。住居表示がそうなっている。住所の末尾はだいたい番地や号などの数字だが、ここでは、数字があるべき位置に、人の名字のような「渡辺」がつく。
神社の縁起を見ると、
かつて神社のあった場所(現在の天満橋の西側あたり)が摂津の渡辺と呼ばれていたことに因る、とある。
「渡辺」は「渡しの辺り」というほどの意味で、川を渡る渡し舟が往来していたのだろう。
さらに中世になると、この地は、渡辺綱を祖とする武士団が支配する土地となり、渡辺を名乗る人々が暮らしていた。
その後、大阪城築城にあわせて、坐摩神社が遷座し、氏子である渡辺氏らも現在の場所に移住し、ここを渡辺という町名にした。
そういうわけで、坐摩神社は「渡辺」姓のルーツのひとつと言われている。
大阪はだいたい、この渡辺一族がつくったことになってますな。
が、1989年(平成元年)、渡辺消滅の危機が訪れるのである。
大阪市東区と南区の合併による中央区誕生に伴い、新しい住居表示制度が実施されることになり、従来の地名であった「渡辺」が消滅し、「中央区久太郎町4丁目3番」となることが決定された。
これに怒ったのが、全国の渡辺さん。由緒ある渡辺の地名を守ろうと運動が起こり、全国の渡辺さんが大阪市に陳情した。市議会は特例措置として、本来は数字が入る番地に「渡辺」を残すことを認めた、という経緯がある。
かくして、「大阪市中央区九太郎町4丁目 渡辺」という非常に珍しい地名が登場することとなった。
大阪はお上の言うことに、なんでもかんでもハイハイとは言わんですな。
納得いかんことには首を縦に振らん、ということ。
ちなみに神社西側の裏参道から参ると、阪神高速の下をトンネルをくぐるようにして参道が延びている。(火坊 陶器神社は坐摩神社境内にある摂社)
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