歴史を知る、歴史的建造物にふれる、まち歩きを楽しむ」

歴史を知る、歴史的建造物にふれる、まち歩きを楽しむ」

今日は大阪府建築士学会のヘリテージ委員会が主催するまち歩き「歴史を知る、歴史的建造物にふれる、まち歩きを楽しむ」の日。
主催する大阪府建築士学会のヘリテージ委員会の委員長は一緒にお仕事をしたこともある所さんだし、かつ、ご近所さんだし、まち歩きのガイドは陸奥さんだし、そもそもなんでヘリテージ委員会と陸奥さんがつながってるのよ?ってのもあるし、さらにまち歩きのコースが岡町界隈で、そこは僕が30年近く前に住んでいた場所ではないですか。
なんだかいろいろな縁が絡まってこんがらまくって、もちろん参加。行ってみると、陸奥さんまち歩きの常連さんも何人もいて、久しぶりの再会☆ いやー、縁ですなぁ。

30年前、この界隈に住んでいた頃は、このまちの歴史なんてまったく知らなかったし、まったく興味もなかったので、まち並みは知っているけれども、その背景にある事柄はまったく知らないという、ある意味、まち歩きにはうってつけのコースなのだ。
後段のシンポジウムで陸奥さんが語った、
「古地図や古写真などを重ねながら歩き、現代では失われてしまったものから歴史や文化や物語を見出すのが僕のまち歩き。それらを見ることで、今あるものがいかに貴重で大切なものなのかがわかってくる」。
という言葉は心に刺さった。まさにそう。「あの当時に見えていなかったものを感じる」まち歩きだったな、僕にとっては。

阪急電鉄の前身である有馬電気鉄道を開業させた小林一三が目論んでいたのは、沿線の土地を買い、宅地をつくり、通勤のために鉄道を使ってもらおうという戦略。
その戦略のなかで、岡町住宅経営株式会社が中心となって、ここらを宅地開発した。
明治の終わりのこと。
夜はまだ暗く、追い剥ぎも出たとか。たぬきに化かされたとか、そういう話も。
船場のエエシの人たちに、仕事は船場、家は風光明媚なこのあたりに住みなはれ、と、職住分離を促し、このあたりには大きな家がたくさんできていく。
そのうちのひとつである、初期郊外住宅の「西山家住宅」を見学。
主屋が建ったあと、洋館が建ち、茶室も設えた離れが建ち、それらをつなぐ渡り廊下ができ、主屋と離れの間には、なんと重森三玲が作庭した「青龍庭」が! なんとなんと、かつて僕が住んでいた場所からチャリで15分くらいの場所に重森三玲の庭があることがビックリだわ!! これまで何度も東福寺や松尾大社に足を運び、生家の記念館に行き、シャープで吉永小百合がCMしてたときの庭を見てきた身としては、灯台下暗し!
枯山水が得意な三玲の庭にしては植物が多いが、そこは当主の西山さんの意向も入っているのだとか。
京都白河から持ってきただろう白砂が龍のかたちに流れていることから、「青龍庭」。離れの客間と渡り廊下がビューポイントになっている。
銀閣にある銀沙灘に似た盛砂もおもしろく、見どころがいっぱいですがな。
主屋と離れの間に洋館があるのは、当時、日本家屋と洋館を合体させるのが流行ったのだとか。
そして、古地図には描かれている2本の松は、すでにない。。。
すごいな!と思ったのは、この西山家住宅を存続させるために、豊中市が買い取ったということ。そう、今、この住宅の持ち主は豊中市ですと。豊中市、どんだけ文化レベル高いねん。それに比べて大阪市は…。。

このあと、僕がかつて何も考えずに遊んでいた大石塚小石塚古墳を経て、原田神社へ。このあたりは桜塚古墳が確認されている場所で、4世紀あたりから弥生人が住み着いている場所なので、当然、原田神社もその頃から鎮座していると思われ、正直、正確な創建がわからないくらいに古い。4世紀5世紀って。。。大和朝廷の国家形成がはじまったあたりかい?

最後に訪れたのは、代々この桜塚村で庄屋を務められた旧家・奥野家住宅。
阪神大震災で全壊に近い被害を被ったそうだが、再建した。とんでもないお金がかかったと思われ。。
米蔵が現代風にアレンジされ、コンサートなどのイベントにも使われ、開かれた文化財の好例となっている。

後段のシンポジウムでも紹介されていたが、文化財を崇め、触るな入るな、の時代を経て、現代ではもっと開かれており、文化財を利活用することで、文化財の価値を再認識してもらう指向に変わってきているのだとか。
文化財の建物のなかで、伝統芸能の能を上演したりなど。
シンポジウムでは、文化財は、そのまちのアイデンティティだと紹介されていた。そのとおりだと思う。個人の住宅であっても、共同体の文化の体現、公共物的なのだと思う。

陸奥さんは最後に、「まちは、道も建物も樹木も、先人から贈与されたもの。僕たちはそれをシェアし、次代へ渡していかねばならない」と語っていた。
今日の陸奥さんは、名言多し☆
陸奥さん、所さん、おおきにです。激サムのなか、お疲れさんでした。

追記)
山田洋次の生家があったよ。
「2歳までしか住んでなかったけれども、あざやかな思い出が残っています」んですと(笑)
保証牛乳は知らない飲んだことない飲んでみたい。

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