この春、国立民族学博物館で「日本の仮面 芸能と祭りの世界」が開催される。3月28日〜6月11日。
仮面と祭りと神楽が好きなワシにとっては、ど真ん中ではないですか!みたいな展示なので、今からワクワクしている。
さらに今日、この展示に先立つ講演が梅田で開催されて、参加申し込みが当たったので、いそいそと行ってきた。
これまでの面の展示では、面の種類、歴史や変遷、役割などが示されたことが多かったけれども、今回の講演は、仮面の制作面にスポットを当てたものになっていて、いやー、興味深かったな。素材や作り方の説明だけではなく、実際に制作者が登壇されてお話され、興味深い話のオンパレードだったな。
制作者として登壇されたのは、
大分の清川神楽面工房の竹原雅也さん(本業はトラックドライバー)
石見神楽の小林工房の小林泰三さん(本業の面制作者)
のお二人。
清川神楽は木彫りで、石見神楽は和紙。
それぞれの制作過程を解説していただいた。
石見神楽は、元々は神職による神事だったのだけれども、明治になって神社と国家が結びつくことになったとき、神職が歌舞に携わるなどまかりならん!となったのだそうだ。そのため、集落の人々に引き継がれるようになった。石見神楽の躍進は、じつはこのことに端を発する。
地域の人々が舞うとなると、躍動感のあるダイナミックなものにどんどん変化していく。そのほうが楽しいからな。神事からお祭りへの変化。
そうなると演者のアクションが大きくなるので、重い木彫りの面ではなく、軽い紙の面に変化していった、と。
清川神楽の竹原さんも、軽い桐を使っている、と話していた。その桐も最近では国産が手に入りにくくなり、仮面制作の一番の難題は木材の入手だ、と。
紙の面は粘土で土台を作り、その粘土の表面に紙を貼り付けていき、最後、土台の粘土を割って、紙だけを残す。塑像ですな。
そうすると、粘土の時点では彫りを深くして陰影をつけても、紙を張ると彫りが浅くなり、陰影がなくなる。そこが木彫り面と大きく違うところだが、紙の面では、最後、色を塗る段で隈取などの要領で陰影をつけていく。
途中、学者先生が、「木材をじっと見ていると、その木材自体が彫られたがっているかたちが浮かび上がってきて、その通りに彫る、という話を聞いたことがあるが、竹原さんもそうですか?」と聞かれていた。
素材に耳を傾ける、といった文学的な表現をぶつけておられたが、竹原さんの回答は職人ならではのリアリスティックなものだった。
「神楽面は能面と違って、自由度が高いです。ルールはあるけれども、自由もあるので、オリジナリティを出すことができます。たとえば、スサノオは太い眉毛が特徴なので、自由と言っても細い眉毛を彫ってしまうと、舞い手が受け入れてくれない。そこはルール。でも、目のちょっとした角度や髪の生え際など、自分はこうだと思うように表現することはできるし、それがオリジナリティにつながる。自分のイメージで彫る」。いや、文学的な曖昧な表現が一切なく、明快で気持ちよかったな。
そんな話がてんこ盛りの、じつに興味深い講演会。
民俗学の世界では今、「伝統」という言葉はほとんど使わなくなったのだそうだ。「伝統」ではなく、「伝承」を使う、と。
過去からのものを受け継いで、今現在パフォーマンスしている時点で、どうやったって、変わるものがある。伝統芸能というものは、じつは、常に変化している、と。だから、伝統ではなく「伝承」。
ということは、今のパフォーマンスというのは、伝承されたものの変化の最先端にある、ということだ。
伝統芸能を見るということは、変化の最新型を見ることに他ならないのだ、と。
未来においてどう変化していけばいいのか、そのヒントは過去にある。それが伝統を学ぶということ。
とってもおもしろい講演会だった。
この講演を受けての展示の詳細はこちら。
https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/48889
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