友部正人のライブを見に、ムジカ・ジャポニカへ。
レコードは熱心に聴いてきたのだけど、ライブには縁がなくて、念願叶ってようやく。30年かかったよ。
70年代から活躍している人だけど、で、70年代のレコードは名作ぞろいだけど、僕が友部さんを知ったのは1994年に発表された「奇跡の果実」からで、だからまだファン歴は若造みたいなもんだけど、そのときから今の今まで、友部さんの声と言葉とギターとハモニカは僕の横で伴奏している。一応、30年だ。

ライブは2時間30分ほどで25曲くらいやってくれただろうか。前半は知っている曲が1曲もなかった。
友部さんの曲は100曲や150曲くらいは知っているつもりだが、たぶん、500曲とか1000曲とかそれくらいのストックはあるんじゃないかと思うし、僕が知ってる曲がなかったとしても。それはあたりまえのことなのだ。
でも、ナマの友部さんの歌声はほんまに74歳か?と思わせるほど迫力があって、言葉のひとつひとつの粒が立っていて、すごく沁みてくるし、歌詞も平気で4番くらいまであるので、初見の曲でもサビは途中から歌えてしまう。
知っている曲もそうではない曲も、そもそもどれも素晴らしいのだし、素晴らしさが一発で伝わるし、ナマ友部さんがギターを弾いてハモニカ吹いて歌っているのを息遣いも汗も感じられる目のまえ2、3メートルくらいの距離で見ているのだし、感激しかない。生きていてよかった一瞬だ。

そんなだから、ライブで盛り上がる曲がどれかとか、終盤必ずやる定番がどれかとか、そーゆーのをまったく知らないのだ。
だから、初めて聴いときに僕の心臓を突き刺した「奇跡の果実」からの曲、「朝は詩人」と「夜よ、明けるな」を歌ってくれたときはびっくりしたし、うれしかった。うれしすぎる不意打ちだ。なによりも、僕だけじゃなく会場にいる人全員が歌っていて、それはそれは美しい光景で、そのなかに自分もいるのだということが、とてもうれしかった。

あの真っ暗な夜に、ひとり心を震わせながら聴いていたあの「朝は詩人」や「夜よ、明けるな」が不意に演奏されて、しかもそれをここにいる全員が歌っている。
あの夜に心を震わせていたのは、僕だけではなかったのだ。

これらの曲を胸の深いところに置いている人が、世界には、ここには、たくさんいるのだ。僕だけではないのだ。ここに、50人もいるじゃないか。
ライブとは、ステージと客席とでつくりあげる祝祭なのだと、あらためて感じさせてくれた夜だった。

そのあと連続して、「僕は君を探しにきたんだ」を歌ってくれた。かつて、友部さんとどんとが2人で歌った曲だ。
「はじめ僕はひとりだった」もやってくれた。これなんて70年代の曲だぞ。今年は6月についに歌えなかったと「6月の雨の夜、チルチルミチルは」もやってくれた。
友部さんと一緒に、友部さんを好きな人たちと一緒に、でっかい声で歌える幸せったら、ないな。

毎年7月にムジカのせい子さんが友部さんを呼んでくれるからこそ、ついに僕にもこんなにも素敵な時間が訪れてくれた。
せい子さん、ありがとう。
演者と場が掛け算をして、この場所この人この時間でしかないマジックが生まれてた。
祝祭の時間だった。
「水門」、ヤバかったよ。なにか、どこかとんでもないところへ連れて行かれるんやないかと思ってしまった。

友部さんは、本を読み聞かせるように、丁寧に言葉を発して、目のまえにいる人にも遠くにいる人にも届くように、歌う。千回も一万回も歌って来ただろう歌でも、今日初めて歌うように、丁寧に言葉を発して歌う。
何気ないひとことひとことが、突き刺さってくる。
叩かれ、刺さり、沁み入る。
知っているとか知らないとか、そういうことはまったく関係がない。
あの、誰にも似ていない独特の声で、ひょいと真実をつかむ。
紡がれたメロディは路傍の花のごとく美しい。
路傍の花が路傍の花としてこれ以上ないくらいに真実であるように、友部さんの紡ぐ言葉は言葉としてこれ以上ないくらいに真実であり、かつ、美しい。

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