今年もこの日がやって来た。
国道2号線を梅田から三宮まで33kmを走って、4時間ちょい。
今年は早いこと走れたけど、29年前は道路が寸断されていて、歩いて何時間かかったやろか?
それを考えると、もともと少ない道がズタズタにされている能登の震災の大変さが今さらながらに少しは身に沁みる。
どうか、能登で被災された方々が、この無惨な出来事に押しつぶされませんように。
亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、この29年間で星になった人たちのことを思いながら、今も懸命にがんばっておられる能登の方々のことを思いながら、走っていた。
国道2号線の阪神間には、神社や小さな祠やお地蔵さんが、道沿いにたくさん鎮座している。屋根に十字架を掲げたキリスト教会がいくつもある。そのつど立ち止まって手を合わせ、また走る。国道2号線の阪神間とはじつは祈りの道でもあるのだということが、自分の足で走るとよく分かる。この走りは、僕なりの巡礼だな。
『その街の子ども』の森山未來や佐藤江梨子のように、あのときの記憶をさらけ出しながら、今を思いながら、柄にもなく厳粛な気持ちを抱えて走ってきた。
毎年ね、制服を着た高校生たちが取材をしてくれるんよね。
震災を知らない私たちになにができますか? って、毎年、その年の高校生たちが朝5時の東遊園地に足を運んで、僕らに声をかけてくれる。
話を聞いてあげてください。
寄り添ってあげてください。
そのときに感じたものを、誰かに伝えてあげてください。
そして、あなたがあたなの心の表現として、一歩を踏み出してください。今日のあなたのように。
コロナ禍を体験したあなたなら、きっと分かるはず。
世界が利己主義に滅ぼされるまえに、あなたや僕は利他的であり続けましょう。今日のあなたのように。
知識を得て、心を開き、自転車に乗ってください。
黙祷を済ませて大阪に戻ってきたら、誕生日の朝だった。
たくさんお祝いの言葉をいただきました。
ありがとうございます。
今晩は、鹿児島から送られてきた豚しゃぶ食べている。
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