








『決定版! 女流画家たちの大阪』を中之島美術館へ見にいく。
ちょうど1年前の今ごろ、『大阪の日本画』を見て、初めて大阪画壇の全体像を俯瞰で見ることができたわけなのだけど(めっちゃ勉強になった)、そのときに、女流画家めっちゃ多いな!って思ったのよ。
そう思っていたら、やってくれた。『決定版! 女流画家たちの大阪』。
そもそも、大阪画壇というものを、僕はよう知らんかったのです。
昨年の『大阪の日本画』で、おもろいなーと思ったクチで。
円山応挙らに代表されるリアルな描写の京都画壇、豪華絢爛な江戸狩野派とも違っていて、はんなりとした風情が漂うものが多くて、僕が大阪人だからなのかもしれないけれども、わりと自分の感性にしっくりと来る。
さて、大阪で大正元年(1912)に島成園が20歳で文展に入選したのを皮切りに、木谷千種や生田花朝(僕はもともと生田花朝の大ファン!)らも官展に入選を重ね、後に続く。成功を収めた女性画家は、自らの画業を追求するにとどまらず、後進の女性を育成するため画塾を開く。門下生たちも師に続いて公募展や塾展に挑み、大阪の女性画家の裾野はさらに広がりをみせていく…。
という好循環が生まれたのが、大正時代の大阪画壇だったようだ。
モダニズムの時代、若い女性たちは成園のように絵で自己を表現し、世に羽ばたくことを夢見たことだろう。
お稽古事から出発した人と、最初から職業画家を目指した人に二分されたようだが、いずれにしても、船場の御寮人さんやいとさんこいさんをはじめ、習いごとに費用と時間を充てることのできる、ええしの家柄の女性が多かっただろう。
しかし、そんなことはどうでもいいと思えるほど、質も量も多く、確実にひとつの流れを形成していたのだと思われる。
なかでも、美人画は充実のひとこと。(いや、山水画・南画・花鳥画も多いのがだ、そちらはちと苦手)
単純に外形的な美人を美しく描いたというものではなく、内面がきちんと表現され、一幅の絵を通して伝わってくるものがある。名の通った画家のものだけでなく、作者の経歴が不明のものですら、そのような作品が多い。なんという充実ぶりか、と。
愛らしい四人の少女は、夏祭りの華やかな装いを身につけているが、きっちりと描き分けられ、経済格差が表現されている。
右頬に大きな黒いアザが描かれた女性は島成園の自画像だが、現実の成園にはアザはない。抗えない運命を受け入れて強く生きる女性のありようが表現されている。
TJWK関西をやっている身としては、編み物をしている絵が気になった。裁縫をしている日本画を見ることはあっても、ニットは初めて見たかも。(いわゆるニットって、いつ頃日本に入ってきたのだろうか?)
もちろん、どの着物の柄も丹念に描かれていて、そちらを見ているだけでも当時の流行ファッションがわかろうかというもので、こちらを中心に鑑賞しても楽しい。
そして、美人画ではない別の頂には、天神祭や四天王寺の聖霊会図を描いた生田花朝もいた。
やがて到来する大大阪時代の一歩手前の、華やかなシーンが堪能できる素晴らしい展覧会。
図録の冒頭には、島成園を含む「女四人の会」の面々を写した写真が掲載されていた。
現代のギャルがタイムスリップしたかのような、大正時代のモダンガールたち。
今どきの日本の音楽シーンも女性ミュージシャンの躍進がめざましいが、大正年間の大阪画壇もどうやらそのようだったようだ。
YOASOBIやAdoや羊文学やリーガルリリーやBiSHやあいみょんやANOらがわんさといた時代とシーンが、大正時代の大阪画壇だったということだ。
『決定版! 女流画家たちの大阪』は前後半で展示作品50点が入れ替わるとか。後半も行く☆
写真は、撮影OKのもの、図録から、公式からパクってきたものなど。
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