3、4年ほど前、たまちゃんに連れてってもらった阿倍野墓地の近くにある共立通の「キクヤガーデン」。そこに飾ってあった絵を見たとき、アール・ブリュットですやん!と声をあげたのが、コーナスさんを知った最初。そのときにいくつかの作品を見せていただいた。あんとき、カレーを食べた記憶があり、カレーとともに壁に飾られていた絵を覚えている。
アール・ブリュットに興味を持つようになったのは15年ほど前で、あとりえすずかぜさんの作品を見たりアーティストの追っかけをしたりして、折々で作品に触れてきた。
つひまぶでもいつか紹介したいと、虎視眈々とチャンスを伺っている。
コーナスさんに出会ったのは、そんなとき。
アウトサイダー・アートでもアール・ブリュットでもダイバーシティ・アートでも呼び名はなんでもいいし、なんならそうしたジャンル分けはナンセンスですらあるけれども、それでもなお、この人たちの創り出すものには共通する何かがあって、その共通性のひとつに「執拗さ」があると、ワシは感じることが多い。
アール・ブリュットやアウトサイダー・アートに関する本を読んでも結局、今のインサイダーの側の輪郭線(それも曖昧なんだけど)が分かるだけなので、そこの事情を汲んだアートの規範よりも、人間の表現行為そのものを見ればいいと思うのだ。だって、表現ってそういうもんだし。事情なんか汲んだら、それはただのお涙頂戴だ。
かつて、ジミ・ヘンドリックスは、「頭の中に音楽が充満しており、外に出してやらんことには頭が爆発する」と言っていた。
プリンスは、アホみたいにスタジオに籠って、何の音が気に入らないのか、人間の限界に挑むような長期戦のレコーディングを延々とやっていた。その偏執狂ぶりよ。
ベートーベンの音楽には、レンガを一個ずつ積み上げて巨大な建築物をつくるような、果てのない執拗さを感じる。
ブライアン・ウィルソンの「スマイル」だって、異常とも思える声への偏執がなければ生まれなかった傑作だ。
ワシはこうした執拗さが宿った表現に心惹かれる。
富塚純光さんやあとりえすずかけの作品に触れるといつもそれを思うし、コーナスのアーティストが生み出す作品に初めて触れたときにも、そんな執拗さを感じて、目を離すことができなかった。そのことをよく覚えている。
そんなコーナスさんの本『共立通2丁目のアーティストたち アトリエコーナスの軌跡』が出版されたので、ソッコーでポチった。
著者は、コーナス主宰者の白岩高子さんとライターの畠中英明さん。
1月発行予定なのに年末には手元に届き、正月のうちに一気読み。
タイトルに反して、コーナスさんがアート活動に取り組むようになった前史が、本の大半を占める。
ワシなんかが何も知らなかった長い長い前史があるのだ。この本では、それを知ることができる。そこが、とてもよかった。
1981年、「阿倍野で共に生きよう会」が誕生する。主な職員は、従来より障害者共生教育に取り組んできた望之門保育園の職員、そして重い障害のある子を持つ母親たち、それを支援する健常児の親たち。
支援学級を卒業したその先に、我が子が生きる場や働く場をつくることを目指したものが、この会だった。
障害者の権利と未来を勝ち取るための運動のなかに、最初から、「地域で共に」という理念があったのだ。この理念がブレることなく、40年以上経った今に至るまで太い軸となって真ん中を貫き支えているのがコーナスだ。
ノーマライゼーションの考え方も素敵だ。
ノーマライゼーションとは、障害のある人を訓練して普通(ノーマル)に近付けることではない。「普通」と「普通ではないもの」に分けることなく、「共に暮らせる」環境を整えていく、ということだ。どんなに重い障害があっても、あたりまえに地域で生きることを目指す。
言葉にするとキレイだが、生半なことではない現実が目の前に横たわっているのは、本からも痛々しいほど伝わってくる。
やがて作業所を開設する。
「コーナス通信」も発刊される。通信は、地域と作業所をつなぐものとして、大切なメディアだ。
バザーもやった。
作業所の収入は内職が主だったが、それだと安定収入には結びつかず、また、メンバーが個性を発揮できるものでもなかった。そうした背景から、クッキーをつくったり、ゴキブリ退治用のホウ酸団子などのオリジナル商品を開発し、これがヒット作となった。
こうしたことが、後年、アート活動へと舵を切る助走ともなっていく。
転機となったのは、2003年に施行された障害者自立支援法だろうか。
福祉制度は行政がサービスを決める「措置」制度から、利用者がサービスを選択する「契約」制度になり、より使い手に寄り添うものにはなったのだろうが、一方で、財源不足から、小規模作業所は他の作業所との合併を求められた。
コーナスも岐路に立った。新しいコーナスがデザインされ、内職仕事をすっぱりとやめ、いよいよアート活動に突入していく。すごい決断だ。
高子さんにはそれなりの確信があったようだが、周囲の人たちにとっては、唐突すぎて驚天動地だっただろう。
ワシだって、明日からアート活動をするよ!と唐突に言われたら、そんなもんムリだ!と言うだろう。こんときの戸惑いは、どれほどのものだっただろうか。
場を限定せず、メンバーがリラックスして活動できる環境を用意すること
本物の画材を用意すること
専門知識のある人がサポートすること
時間の制限を設けないこと
作品に介入しないこと
「YES」を出し続けること
こうした指針のもと、最初はなにをすればいいのか戸惑っていたメンバーが、ほどなくして、制作に取り組むようになった。
集中することが苦手だと思われていたメンバーたちが、じっと座って各自の表現に取り組むようになった。
ワシは冒頭で「執拗さ」が好きだと書いたが、メンバーたちが見せる「集中」とは、そんな表現につながっているのだと思う。
「親がいちばんの差別者だ」との言葉があるらしい。
障害を理由に、「うちの子には無理」「できるわけない」と子どもの可能性から遠ざけてしまう親たちこそが、いちばんの差別者だということだ。
障害があるからこそ生まれるものがある。
そう言ってしまっていいものはかどうかはワシには分からないけれども、他のさまざまな優れた表現と同様、心を揺さぶられる表現が、ここにはある。コーナスさんで作品を目にしたとき、すずかけさんで作品に触れたとき、ワシは心を揺さぶられてきた。だから、追っかけている。
コーナスさんの活動は多彩だ。長い時間をかけて、活動はいつの間にか横へ縦へとひろがり、その都度、目の前のことと向き合ってきた結果だ。
生活介護事業所、グループホーム、居宅介護・重度訪問介護事業所、自立訓練・就労継続支援B型事業所、カフェ&レンタルスペースを運営、アトリエコーナスでは、仲間がそれぞれのペースでアート活動をおこなっている。
白岩さんを含めた、障害者の母親たちが、地域で生きることを求め、スタートさせた知的障害者の生活介護施設。ただ待つのではなく、自分から創る人となり繰り出すのだ。その体当たり運営のおもしろさは抜群だ。
重い現実はあるに違いないだろうが、それを笑い飛ばすエネルギーが、現実を乗り越えていく。そんな、かあちゃんたちの奮闘記だ。
ビバ! コーナス!
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