蓮興寺の八重も、ハラハラと花びらを舞い散らせる時期となりました。
塀際の道も、排水溝も、ご覧の通り。
花の、ことに桜の命は短く儚いですな。
いのち短し 恋せよ少女朱き唇 褪せぬ間に熱き血潮の 冷えぬ間に明日の月日の ないものを
いのち短し 恋せよ少女いざ手をとりて 彼の舟にいざ燃ゆる頬を 君が頬にここには誰れも 来ぬものを
いのち短し 恋せよ少女波に漂う 舟の様に君が柔手を 我が肩にここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ少女黒髪の色 褪せぬ間に心のほのお 消えぬ間に今日はふたたび 来ぬものを
「ゴンドラの唄」。
中山晋平が作曲し、吉井勇が歌詞を書きました。
吉井勇といえば、耽美派を代表する歌人で、京都祇園で遊び倒した…、もとい、めっちゃくちゃモテた人でした。
今でも、祇園白川で彼の命日に偲んで行なわれる「かにかくに祭」には、祇園のベッピンさんがたくさん訪れます。
キタ関連でいうと、吉井勇は川田順とも交流がありました。
川田順の歌碑が中之島の府立図書館前に残っています。
この人がねー、これまた色恋大好きの人でね。
晩年、70歳手前で、家出した挙げ句に、京都・真如堂にて自殺未遂を起こします。
これはですな、弟子であり京大教授夫人もあった鈴鹿俊子との不倫関係を清算するために選んだ手段で、老いらくの恋ですな。
こんときに、住友総本社筆頭理事の地位も捨ててます。
吉井勇も負けてません。
華族出身であり、姦通罪があった時代に、奥さんの徳子さんが不良華族事件という大スキャンダルの中心人物として世間を騒がせます。勇は被害者だけど、その後、離婚したのちに、芸者の娘と結婚します。
大正から昭和初期にかけての出来事だけれども、華族内で不倫が勃発し、芸者の娘と結婚するというのは、当時の常識からは100万光年くらい離れていた所業でしょうな。
川田順も吉井勇も、そういう時代に、年齢も地位も関係なく、人を好きになるということをせいいっぱい謳歌した人です。
散り際のこの桜を見ていると、そんなことに思いを馳せます。
「ゴンドラの唄」は、1915年(大正4年)、劇団芸術座によって公演された「その前夜」における劇中歌として歌われました。
その後、黒澤明の映画「生きる」で、主人公が口ずさむシーンが登場しますな。
さて、YouTubeに劇団芸術座での初演時の音声がupされていたので、貼り付けまする。しかも、歌っているのは松井須磨子!!
http://youtu.be/5HgnmnI-kao
蓮興寺
大阪市北区末広町1−35
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