昨日は天理教団本部で枝垂れを見たあと、布留山の麓にある石上神宮へ。山の辺の道の始点なので、2年前に山の辺の道を歩いて以来の再訪。
石上神宮、好きですねん。
古代信仰が色濃く残っている場所で、ここに来ると「再生」やら「荒魂」やらを感じることができて、好きなんです。ナウシカ的というか、腐海の森が濾過装置であるように、鬱蒼として水分多めなこの神社の空間丸ごとが濾過装置であるかのような気がします。
もうひとつ、石上神宮の境内では、鶏が放し飼いにされていて、午前中に行くと、こけこっこー!の元気で甲高い鳴き声がひっきりなしです。静寂に包まれる空気は、一瞬にして切り裂かれてしまって、それもまた「再生」やら「荒魂」やらを感じさせます。
鶏は、石上神宮の専売特許かと思いきや、かつてはどの神社にもいたらしいですね。
考えてみれば、鶏はアマテラスの使いでしたっけ? 伊勢神宮にもいるな。
「鳥居」かて、もとは、鳥(鶏)の止まる木やしね。
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