10年前の3.11

10年前の3月11日に東日本大震災が起こって、少し経ってから選挙があったのを覚えています。なんの選挙だったか忘れたけど、立候補者、政党…、こぞって街頭募金に立ってました。社会鍋!とか言うてね。政党名やら立候補者名が書かれた幟も一緒に立ってたんで、宣伝臭さが見え隠れして、ちょっとイヤやったですね。
でももっとイヤやったというか、唖然としたのは、選挙が終わった翌日から、あの人たちがきれいさっぱりいなくなったこと。
もうね、モノの見事に、誰一人いなくなりました。当選した人も落選した人も、人っ子一人。
あぁ、あの人たちにとっての募金活動や震災支援活動というのは、単なる売名行為、票ほしさの就職活動やったんやな、と、そのときの僕は思ったもんです。そうではなかったと彼らは言うだろうけれども、僕にはそう見えました。
あのとき立っていた人たち、投票日翌日からキレイさっぱりいなくなった人たちを、オレは今でもちゃんと覚えてるね。今でも脳裏に焼き付いていて、ちょっと忘れられへん。
印象的だったのは、タレントの板東英二さんです。彼もまた、街頭に立っていたひとりです。板東さんは、ずーっと、夏も秋も冬も、雨の日も晴れの日も、天神橋筋商店街の3丁目に立ってはりました。
選挙なんか関係なく、マネージャーも連れず、マスコミに囲まれることもなく、たったひとりで。ひっそりと。
彼は芸能人なのだから、宣伝したらいいのに、と、僕は思っていました。
世論喚起の一助になるだろうし、彼のファンがつられて募金するかもしれない。宣伝する意味は、あると思いました。
でも、彼は、それをしない。彼の奥ゆかしさや恥じらいや誇りや謙虚さが、それをさせなかったんでしょう。後年、板東さんはいろいろあったけれども、僕が実際に目にしてきた板東さんはそういう人で、前述の政治屋たちとは、真逆の感性を持ってはる人でした。
商店街の土居会長と約束してもうてなー、100万円貯まるまでやるねん。
でも大阪の人は小銭ばっかり入れるから、募金箱が重とうてしゃーない!
募金してくれた人にはお土産わたしてるんやけど、あれ、1個350円するねん。だから赤字や(笑)
そんなことを言うてはりました。
たったひとりで。
生半可でできることではないです。ほんま、頭が下がりました。
僕たちも同時期に、震災遺児をニットで支援するためのTJWK関西(Think of JAPAN While knitting関西)を立ち上げ、微力ながら活動を続けてきました。最初のイベントは天神橋筋商店街でやったので、板東さんに声を掛けて、来てもらったりもしました。
あれから10年。
周年みたいなかんじで、今年はいつになくマスコミが賑やかです。
今日の追悼式典で、菅首相は、「復興は総仕上げの段階に入っている」と寝言をこいていました。
被災地でご苦労されている方々にとっては、総仕上げでも節目でも周年の10年でもなんでもなくて、ただただ必死になってかつがつと日々を乗り越えて、気がつけば10年という月日が流れただけのことやと思います。
TJWK関西も、気がつけば10年が経ちました。
何度も何度もやめようと思ったし、いつまで続けるのかもわからんのですが、いろんな人との出会いや別れや、楽しいことやしんどいことや、変わってしまったことや変わらんことや、つまるところ、普通に精いっぱい暮らしてきたなかで、活動を続けてきて、10年が経ったというだけのことのような気がします。節目でも周年でもなくて、1年、2年、3年と積み重なって、気がつけば10年。
投票日の翌日にはいなくなったあの人たちのように、スパッとやめられへん。何度も何度もやめようと思ったし、続けるのってほんま大変!やけど、なにかに突き動かされて、やめられへんでここまで来た時間やったように思います。
今年は、たくさんのご縁をいただいて、新しい場所でのイベントもたくさんさせてもらっています。今もやってます。
14時46分、仕事の手を止めて、黙祷しました。
あとは、TJWK関西のHPを少しいじったり、変わらずに仕事をしています。今日も、いつもように変わらない日常を積み重ねています。なので、今日もこれから走ってきます。10km。

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