現役の小児科医にして脳性まひ当事者である熊谷晋一郎さんの『リハビリの夜』。
熊谷さんは、あるとき「健常な動き」を目指すリハビリを諦めた。
そして、《他者》や《モノ》との身体接触をたよりに「官能的」にみずからの運動を立ち上げてきた。
リハビリキャンプでの過酷で耽美な体験、初めて電動車イスに乗ったときのめくるめく感覚などを、全身全霊で語り尽くした恐るべきの書。
これは文学だな。
医学書だが、文学にすら、なり得ている。
熊谷さんは、「多くの人やモノに依存できることが自立の条件である」と言う。
依存しないことが自立、という一般通念とは真逆のことを、熊谷さんは言う。
電動車イスに乗っている熊谷さんは、東日本大震災のときに東大の研究室にいた。
揺れが来てすぐに避難しようとしたが、エレベータが動かず研究室にとどまらざるをえなかった。歩ける人は階段で地面に下りることができたが、熊谷さんはエレベータなしには避難できない。
このときエレベータだけに依存している自分と、階段でも下りられるし、いざとなれば避難ハシゴだって使えるという健常者とを比較して、「依存先が1個しかない」ことのデメリットを身をもって知った。
ここから熊谷さんは、「自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない」と思い至った。
健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなモノに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。
けれども真実は逆で、健常者はさまざまなモノに依存できていて、障害者は限られたモノにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できる。
じつは膨大なモノに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、〝自立〟といわれる状態なのだ。
あなたはたしかに自立している。しかしそれは、自分では気づかないかもしれないけれど、多くのものに依存できる環境があってはじめて成就できることなのだと、熊谷さんは言う。
熊谷さんは日常生活の多くを介助者に頼っている。しかし特定の介助者がどんなによい人であっても、その人だけに介助を頼るようなことはしない。必ず複数人に介助先を分散している。
その人が病気で倒れたりしたら困るから、という理由だけではない。その人に離れられたら困るという状態になると、熊谷さんとその人のあいだに支配/被支配関係が強く発生してしまうからだ。
部分的にでも信頼できる人が複数いれば、それらの人に少しずつ依存して、つまりタコ足のように多方面に足を伸ばすことによって、自らを支えることができるだろう。
熊谷さんはそのような結論に達し、「自立とは依存先が分散されていることである」という名言を生んだ。
この言葉はたいへん含蓄が深い。
もう7年ほど前になるが、大阪で北部地震が起きたときと同時に、ワシは脳梗塞の疑いを抱えていた。
地震であれ脳梗塞であれ、ひとりで過ごしていると、助かるものも助からんなと思い、僕は数日を行きつけの喫茶店で過ごすことにして、仕事道具を持ち込んで日中をずっと過ごしていた。
案の定、倒れそうになって、あらかじめ事情を分かってもらっていた店の人が救急車を呼んでくれ、ワシは事なきを得た。
そういうことなのだ。ワシこそ、無意識のうちに、依存先を探す選択をしていた。
たとえば世に「依存症」と呼ばれている人がいる。その人たちはアルコール依存症なら酒、薬物依存症ならドラッグに依存している。好き好んでそうしているように見えるが、じつは違う。
酒やドラッグ以外に「依存できるモノ」がないから、あるいはモノではなく「依存できる人」がいないから、結果として酒やドラッグだけに依存せざるを得ないのだ。
太融寺の立ちんぼのおねーちゃんたちだってそうだ。ホストにしか依存できないから、売り掛けのために立つことになる。
友だちはどうした? 支援団体につなごう。
依存先が少しずつたくさんあればいいのだ。
健康といわれる多くの人は、辛いことがあれば友人や同僚に愚痴り、気がふさげばジョギングをし、ときには仕事に過集中してその場をやり過ごすように、多くの依存先を持っている。
つまり依存症とは、依存先が1つや2つしかない極めて乏しい人のことであり、言ってみれば「依存症の人は依存が足りない」のだ。
これらは、ワシらの編集の世界に当てはめることもできる。
「こうも考えられる」ということだ。
「これしかない」と考えられているところに「こうも考えられる」という別の補助線を引き、その補助線にしたがってこれまで出ている要素を並べ直すと、景色はガラッと変わる。
出された問いに答えるのではなく、その問い自体を組み換えてしまうこと。あるいは与えられた問いの外に出てしまうこと。
そうすると、「依存」といった「克服するべき」問題に別の光を与えることができる。
それは編集という仕事そのものなので、編集に携わっている人ははよく分かる話だ。
いやー、熊谷さんの『リハビリの夜』はおもしろいな。
眼差され、見捨てられた私のカラダを拾ってくれたのは、夜の闇と冷たい床、そして敗北の官能だった。
痛いのは困る。
とんでもない言葉たちが次々と襲ってくる、とんでもない書。



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