伊勢に行ってきやした。
じつは、お伊勢参りは初めてなのでした。
これまでさんざん関西圏の神社仏閣を巡ってきたけれども、神社の総本山である伊勢神宮に行ったことがなく、かつ、神宮についてはなんも知らんというていたらくです。
付け焼き刃でいっぱい勉強したけれども、ここでそれを披露してもしゃーないので、それは置くとして。
とりあえず、激混みでしたな。遷宮ってことで、今年は平日も休日も関係なく、とてつもない人混みです。
そんななか、なにを考えていたかというと、やっぱ、遷宮のことかな。
遷宮について巡らせた考えを、少し書いてみます。
伊勢神宮の式年遷宮は20年と定められているけれども、これには、まず、建築上の理由が含まれているのだな、ということ。ここの建築様式は、大半が萱葺き、掘太柱の簡素なものなので、それらが常に清浄を保ち、尊厳を維持できるのは、20年が適当なのだろうということ。
もうひとつは、伝統継承の理由。伝統には、建築技法だけでなく、祭祀、神楽・雅楽、神宝などがあり、それらにかかわる祭式、作法、形式、技術等を正しく伝えていくためには、また形のみならず伝統的な精神の継承も考えると、20年周期が適当だと考えられたのだろうということ。
一般的に、世代交代といえば、30年です。
世代の「世」の古字は「丗」ですが、これは「三十」の古字でもあります。つまり、その人の「世代」というのは、一般的に30年だと考えられてきたわけです。こういうことと伊勢神宮の式年が20年と定められていることは、おそらく関係があるんだと思います。バトンを繋げていくために、30年を20年にしたのでは、という、推量も出てきます。
漢字の話をもう少し続けると、「廿=二十」は、「はつ」ないし「はたち」と読みます。「はたち」の「ち」は、数詞の下に接続する接尾語みたいなものですね。
両手両足の指を折って、順次数を数えていくと、20が最後に来ます。つまり、「はたち」には、「終わり」の意味が含まれているということですね。人が20歳を迎えるとき、それを「はたち」と呼ぶのは、子供時代が終わり、大人になることだからです。そこには、終わりとはじまりの両方が含まれていて、つまり、「蘇り」に通じていきます。
伊勢神宮の式年遷宮、つまり20年ごとにすべてを新しく造りかえるのには、このような、終わりとはじまり、つまり「蘇り」の意味があり、そこには常に若々しくありたい「常若」の思想が、当然のごとくあります。
稲穂の国の神様である「天照大神」であるから、こうした考えは、稲作の思想とも繋がっていく。
伊勢神宮で最も重要な神事は農業を宗教的に昇華させた「神嘗祭」だけれども、そこには、収穫の感謝と次の年が豊年であることへの祈りが含まれています。ここにもまた、終わりとはじまり、つまり「蘇り」があります。
夕陽が沈むとき、僕たちは翌朝に朝日が昇ることを知っています。終わりははじまりに繋がっていること、死は生のはじまりであること、何度でも蘇ること、輪廻していくこと、そのような考えを、僕たち日本人が21世紀の今のこの世に生きながら、すんなりとごく自然に受け入れられているのは、きっと、伊勢神宮をはじめとする日本の神社が脈々と遷宮を行なってきたことに起因するのだな、と、そんなことを考えていたのでした。
今回巡った場所は、
外宮(豊受大神宮)/ 正宮、風宮、土宮、多賀宮〜月読宮 / 月読荒御魂宮、月読宮、伊邪那岐宮、伊弉冉尊宮〜猿田彦神社〜二見浦〜内宮(皇大神宮) / 正宮、風日祈宮、荒祭宮〜倭姫宮
Flickrに画像あります。
コメントを残す