粟生光明寺の法然さん

粟生光明寺
今年の秋は、たまたまではあるけれども、法然さんの足跡をなぞるように、縁のあるお寺さんを巡ってます。
法然院、安楽寺、そして、京都西山にある粟生光明寺。

法然院は、文字通り、法然さんの専修念仏を広める拠点となったお寺さん。
安楽寺は、法然さんら専修念仏が時の政府によって取り締まりの対象となり、法然さんの流罪と弟子への処刑がなされた「建永の法難」のあと、流罪が解けた法然さんが弟子の住蓮と安楽の菩提を弔うために再興したお寺さんです。

光明寺は、法然さんが43歳のときに、日本で最初に念仏の産声を上げ、浄土宗を開いたお寺さんです。
どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず救われる。
そういう、仏教の救いの新たな局面を見せたのが、法然さん。
これは他力に通じる考えで、「他力本願」の語源でもあるわけだけれども、まあ、なんちゅーか、「自力」の対語である「他力」とは、阿弥陀如来さんの力を指し、阿弥陀如来さんを全面的に信じるどころか、自力すらも阿弥陀如来さんの働きの一部、つまり、「他力」であるから、とにかく阿弥陀如来さんを信ぜよ、という、今の時代に顧みると、少しややこしい教えでもあります。
そのためにも、念仏を一心に唱えよ、と。

新仏教を、今風に解釈すると、こんなかんじになります。
少しまえにtwitterででまわっていたコピペものだけど、なかなか本質を突いてます。
「座って色々考えようぜ」→臨済宗
「なんかもう座るだけで良くね?」→曹洞宗
「題目を唱えとけば救われるんじゃね?」→日蓮宗
「念仏を唱えとけば救われるんじゃね?」→浄土宗
「俺らもう救われてるんじゃね?」→浄土真宗
「それより僕と踊りませんか」→時宗

どんどん自由になっていきますね。
この自由さに、民衆は狂喜乱舞します。小難しくないから、敷居が低く、下層階級の民衆であっても、等しく救われる、ということだから。

当時の世間を覆っていた気分は、その末法思想や本覚思想です。
いわば、ダラダラの現状肯定、不正義や差別に満ちた世のなかの現状を、どうせ末世なのだからとか、なにもしなくても元から救われてるのだからという言いぶんで、なし崩しに是認し、開き直って悪事や没倫理を重ねるような強者(特権階級など)の姿の背景にある、考えかた。こんなの思想じゃないと僕は思っているので、「気分」と称してます。

法然さんは、そういう当時の宗教のありかた、宗教権力のありかたに対して、抗ったということです。

『善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』という、親鸞さんが語ったものとされる有名な言葉は、じつは法然さんのほうが先に使っていたのだ、というおもしろい話もあるんだけれども、そこで言われる悪人か善人かという区別は、当時の社会においては、殺生や不浄とされることをせずには生きられなかった庶民や女性たち(悪人)と、それらの悪に手を染めずに生きることのできた特権階級の人々(善人)との区別を意味しています。
特権階級の人間だけが救われるという、当時の仏教の抑圧的な教えを、法然さんは、いわば「死の平等」あるいは「平等な死」を打ち出すことによって、否定しようとしました。あるいは転覆しようとしました。
そこに法然さんの浄土教の、真の意味と力があったのだと、僕は思っています。

いわば法然さんは、たんなる理想主義的平等論者ではなく、宗教的革命家(転覆者)でありました。
法然さんの信仰の核心は、腐敗した当時の宗教的権威の否定と、それに抑圧された民衆の(宗教的な)解放ということと結びついています。

そのような法然さんが、僕は近ごろ好きになってきました。

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

IMG_5456粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

粟生光明寺

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粟生光明寺

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粟生光明寺

Flickrに画像あります。
長岡:粟生光明寺(2013.12.3)

h6>粟生光明寺

長岡京市粟生西条ノ内26-1

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