一昨年、山伏さんたちとミナミの六地蔵を巡ったんですわ。地蔵盆ね。
山伏というのは、まあ、山のなかをひたすら歩いて修行する、修験道の行者です。
奈良吉野の大峯山を代表に、熊野、大山、羽黒山など、日本各地の霊山と呼ばれるところにいらっしゃいます。
日本古来の山岳信仰が仏教、主に密教と混じり合ったものが、修験道。
奈良時代に成立したとされ、役小角(役行者)を開祖と仰ぐのですが、役小角はあくまで伝説的な人物です。
代表格は、やっぱ、空海、弘法大師ですな。
真言宗系と天台宗系とあるところからわかるとおり、空海や最澄が唐から持ち帰った密教がベースになってます。ベースというか、むしろ密教の周辺にあった雑密が、日本古来からあった山で修行する精神と結びついたものが修験道。すごく乱暴にいうと、そういうことになるかと思います。
頭に頭巾(tokin)、手に錫杖(shakujo)、麻でできた白い篠懸(suzukake)の法衣を着、袈裟をかけ、法螺貝を持ちます。天狗を思い浮かべてもらうとわかりやすいですね。あの格好。
もっとも、多くは、専門の僧侶というわけではなく、在家の信者が「講」を組織して、修行のときだけ山伏となり、普段は仕事を持つ社会人として働いてらっしゃいます。今回お誘いいただいた僕の知り合いの方も、普段は商店街でお店を営んでおられます。
でも、聞くと、修行は厳しい。
真冬の1月に那智の四十八滝巡りとか、聞いただけで目眩がしそうです。2日間かけて、極寒のなか、那智の滝48ヶ所を巡りながら、滝に打たれるわけです。全身が紫色に変色するらしいですね。滝から出てきて、誰かがタオルで身体を拭こうものなら、皮膚のダメージが強すぎて、飛び上がらんばかりの痛さだそうです。拭いてはいけない、タオルで押さえるだけ。…無理です、僕には!
熊野の山のなか、道なき道を2泊3日かけて往復する修行、奥駈け (okugake)も、よほどの健脚でなければ、ムリ。75kmとも100kmともいわれる、アップダウンが激しくて危険地帯も多い山の道なき道を、歩くんやそうです。夜、月明かり星明かりだけが頼り。若いころのムチャでネパールやチベットの高地を歩いた経験はありますが、どうやらそれよりも全然キツそうです。…ムリです。
でも、山にこもって厳しい修行を行うことで、さまざまな験(しるし)を得ることを目的としているのが修験道でなので、それをしなければならない…。興味あるし、誘われてもいるんですが、よほどの覚悟が要ります!まずは、四国のお遍路さんからはじめたいじゃないですか!
さて、話はそれくらいにして、以下、今回の六地蔵詣りの写真です。 大阪を代表する繁華街を練り歩いているだけあって、素晴らしくシュールな世界が広がっています。聖と俗のコントラストのオンパレード!
貴重な撮影となりました。
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