今回で第7回目です。
思えば、中崎町キャンドルナイトは、2009年(平成21年)に第1回目が開催されました。計画を聞かされた当初は、すでに全国展開されていた「1,000,000人のキャンドルナイト」が西梅田と茶屋町で開催されていたので、中崎町までやるの?と、ちょっと訝しんだもんです。
でも、行ってみると、自分が思っていたのと全然違っていて、嬉しい方向に予想を裏切られるキャンドルナイトになっていたのです。
どんなキャンドルナイトだったのか。
それを説明するには、そもそも、なぜ中崎町でキャンドルナイトが開催されることになったのか、そのことからはじめなければなりません。
中崎町キャンドルナイトは、すでに学校統合で廃校となっていた旧・済美小学校が耐震の問題で取り壊しとなったとき、思い出づくりとして、地域の方々が企画したものです。
旧・済美小学校は、こんな小学校。歴史のある小学校です。
1916年(大正5年)大阪市第三北野尋常小学校として創立
1920年(大正9年)校名を済美第五尋常小学校に改称
1941年(昭和16年)校名を大阪市済美国民学校に改称
1947年(昭和22年)校名を大阪市立済美小学校と改称
2004年(平成16年)児童減少を理由に廃校
ちなみに、済美の名前は、教育勅語からとられた、由緒ある名前です。
学校統合で廃校となったあとは、地域のコミュニティホールとして利用されていました。
実行委員会が結成され、事前に茶屋町や西梅田のキャンドルナイトを視察し、その規模にも圧倒されるなかで、おカネがあるわけではない地域の人たちが出した答えは、素朴な素朴なキャンドルナイトでした。
どこを切り取っても、地域による、地域のための、地域のキャンドルナイトなのでした。
僕はここの卒業生ではないですが、それでも、この更地になった風景を見たときには、ちょっとした喪失感がありました。
そんな思いが、一回こっきりだったはずの中崎町キャンドルナイトを年中行事へと進化させたのでした。
おカネはそんなに入り込んでないけど、血の通いや思いはたくさん入り込んでいるキャンドルナイトなのです、中崎町のは。
済美には夏に済美カーニバルがあり、中崎町キャンドルナイトは、夏のカーニバルと対をなす冬のイベントとして定着していくことになったのでした。
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」は、このときから現在に至るまで中崎町キャンドルナイトの常連で、今では実行委員会のメンバーにもなり、情報保障をはじめとするステージ全般を担当してくれています。
今回の2月11日で、第7回を数えます。
思うんですが、他のキャンドルナイトでは、展示されたオブジェや作品は、その後、どうなっているのでしょうか?
当日のプログラムは、以下のとおり。
13時〜16時
写真展「今はもう見られない 元済美小学校」
東日本大震災支援TJWKニット作品展示&ワンコインワークショップ
15時〜
スタンプラリー
16:30
点灯式&ポスター表彰式
17時〜
ホールにてコンサート
天満中学校吹奏楽部
南ジョージバンド
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」
akira
みんなで合唱
20時 終了
https://www.nakazakicho-bar.com/
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