中崎町キャンドルナイトはなぜはじまったのか?

今週土曜、2月11日(土)は中崎町キャンドルナイトです。
今回で第7回目です。

思えば、中崎町キャンドルナイトは、2009年(平成21年)に第1回目が開催されました。計画を聞かされた当初は、すでに全国展開されていた「1,000,000人のキャンドルナイト」が西梅田と茶屋町で開催されていたので、中崎町までやるの?と、ちょっと訝しんだもんです。

でも、行ってみると、自分が思っていたのと全然違っていて、嬉しい方向に予想を裏切られるキャンドルナイトになっていたのです。

どんなキャンドルナイトだったのか。
それを説明するには、そもそも、なぜ中崎町でキャンドルナイトが開催されることになったのか、そのことからはじめなければなりません。

中崎町キャンドルナイトは、すでに学校統合で廃校となっていた旧・済美小学校が耐震の問題で取り壊しとなったとき、思い出づくりとして、地域の方々が企画したものです。

旧・済美小学校は、こんな小学校。歴史のある小学校です。

1916年(大正5年)大阪市第三北野尋常小学校として創立
1920年(大正9年)校名を済美第五尋常小学校に改称
1941年(昭和16年)校名を大阪市済美国民学校に改称
1947年(昭和22年)校名を大阪市立済美小学校と改称
2004年(平成16年)児童減少を理由に廃校

ちなみに、済美の名前は、教育勅語からとられた、由緒ある名前です。

1930年(昭和5年)に建てられた校舎は、窓枠や門には丸みを帯びた意匠がふんだんに使われ、なかなかモダンなものでした。
学校統合で廃校となったあとは、地域のコミュニティホールとして利用されていました。
 その後、耐震構造の問題から解体が決まるわけですが、歴史があり、卒業生を数多く輩出した学校の消滅を惜しむ声は多く、せめてものできることとして、中崎町キャンドルナイトは、解体前に、最後の思い出として企画されたのでした。
そんなキャンドルナイトが開催されたのが、2009年(平成21年)12月10日のことです。
実行委員会が結成され、事前に茶屋町や西梅田のキャンドルナイトを視察し、その規模にも圧倒されるなかで、おカネがあるわけではない地域の人たちが出した答えは、素朴な素朴なキャンドルナイトでした。
地域でガラス瓶を集め、お子たちが、そのガラス瓶に絵付けをし、そのなかにキャンドルを入れて灯す…。
いかにも、地域が手弁当手づくりでやりました、というキャンドルナイト。それは、おカネをかけられないことを逆手に取り、素朴で、ほっこりとした、暗闇のなかでキャンドルの灯りを楽しむ、本来的な意味でのキャンドルナイトでした。
一番目立つ場所には、キャンドルを灯したガラス瓶が「ありがとう」の文字に並べられました。なくなってしまう済美小学校校舎への性別の思い。そんな思いが込められたキャンドルナイトなのでした。
かつての校舎、かつての中崎町、そんな古い時代を切り取った写真が展示されt、地域のお子らは蜜蝋をつくり、地域から集められたガラス瓶にお子らが絵付けをし、地域の有志たちが集まってちょっとしたコンサートも開催されました。
どこを切り取っても、地域による、地域のための、地域のキャンドルナイトなのでした。
こうして大円団を迎え、元・済美小学校は解体されます。
僕はここの卒業生ではないですが、それでも、この更地になった風景を見たときには、ちょっとした喪失感がありました。
この後、元・済美小学校の半分はマンションとなり、解体された1年後には、残りの半分が中崎町ホールとなります。
この中崎町ホールの誕生を機に、中崎町キャンドルナイトが復活します。
じつは、中崎町キャンドルナイトは、当初は、恒例化して毎年の行事とすることは、考えられていませんでした。あくまで、一回きりの、「さよなら校舎」の行事として企画されたものです。
でも、地域で集めたガラス瓶に、お子らが絵付けをしてくれたわけです。これらは立派な作品です。キャンドルナイトが終わったからといって、これらを捨てることができますか?
そんな思いが、一回こっきりだったはずの中崎町キャンドルナイトを年中行事へと進化させたのでした。
おカネはそんなに入り込んでないけど、血の通いや思いはたくさん入り込んでいるキャンドルナイトなのです、中崎町のは。
第1回目から約2年後の、平成23年(2011年)2月12日、中崎町キャンドルナイトは復活し、年中行事として毎年開催されるようになります。
済美には夏に済美カーニバルがあり、中崎町キャンドルナイトは、夏のカーニバルと対をなす冬のイベントとして定着していくことになったのでした。
ホールでのステージも、第1回から継承されています。
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」は、このときから現在に至るまで中崎町キャンドルナイトの常連で、今では実行委員会のメンバーにもなり、情報保障をはじめとするステージ全般を担当してくれています。
そういう僕も、第1回目は単純にお客として楽しみ、第2回目からはニットによる東日本大震災被災地支援TJWKとして出展参加し、前回からは実行委員会のメンバーとして、そして今回からはついに実行委員会の副委員長を仰せつかるまでになってしまいました。
第2回目は毎年2月に開催され、バレンタイン・デーと重なることもあれば、雪が降ることもあり、昨年はついに雨が降りました。
今回の2月11日で、第7回を数えます。
第1回で絵付けをしてもらったガラス瓶は、今でも使われています。自分が絵付けしたガラス瓶を探しに来られる人も、たくさんいます。
思うんですが、他のキャンドルナイトでは、展示されたオブジェや作品は、その後、どうなっているのでしょうか?
今回は、ほっかほっか亭のハースクレイさんが電光掲示板広告を出してくれるという、すごいご協力もしていただいています。

当日のプログラムは、以下のとおり。

13時〜16時
写真展「今はもう見られない 元済美小学校」
東日本大震災支援TJWKニット作品展示&ワンコインワークショップ

15時〜
スタンプラリー

16:30
点灯式&ポスター表彰式

17時〜
ホールにてコンサート
天満中学校吹奏楽部
南ジョージバンド
手話エンターテイメント発信団「oioi(オイオイ)」
akira
みんなで合唱

20時 終了

今年は、周辺で中崎町バルも開催されています。チケットは中崎町ホールでも販売しています。
https://www.nakazakicho-bar.com/

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