1.17の夜

1.17の朝5:46の三ノ宮の東遊園地を目指して、毎年夜通し歩いている。
途中、日付が変わって、誕生日を迎える。今年は54歳になった。
25年前の震災のとき、友人を迎えに行ったり必要なものを持っていったりと、大阪と神戸を何度も歩いて往復した。大阪からだと、尼崎あたりまでは車が走れて、そっから先は道路が寸断されていたので、歩いていた。
星の夜があったり、粉雪が舞う夜があったりしたけれども、覚えているのは、夜歩いていたことくらいだろうか。昼間のイメージがあまりない。
しばらくして、長田オジィやオバァらと仲良くするようになり、みんなでルミナリエに行ったりするようになったのも、あたりまえだけれども、夜だ。
当時、ソウルフラワーユニオンのモノノケ・チンドン隊がよく青空のもとで演奏をやっていて、でも、僕が行ったのは、長田神社の境内に篝火を焚いての演奏だったので、やっぱり夜だった。もちろん彼らがこの時期につくった名曲『満月の夕』は、夜でしかありえない。
後年、佐藤江梨子と森山未來が演じた『その街のこども』も、震災から15年後の夜の灘と神戸を往復するロードムービーだった。これも濃密で圧倒的な夜の神戸の空気が支配している。(この映画は、今でも毎年この時期に十三の「シアターセブン」で上演される。DVDは持っていても、何年かに一度は観にいく。)
そんなかんじで、僕にとっての神戸や震災は、夜のイメージがべっとりと脳裏に貼りついている。
今となっては、日常のなかで震災を思い出すことは、ほとんどない。忘れたいと思うこともなければ、忘れてはいけないと思うことも、ない。
それでも、この時期、歩こうと思う。
なぜ歩くのかと問われれば、もう、はっきりとは答えられないくらいに、僕のなかでもいろんなことが曖昧になってきている。それでも、歩こうと思う。
歩いているとき、いつも、あの当時のことや、この25年のあいだに星になった人たちのことを思い出している。思い出して、歩きながら、わんわんと大きな声を出しながら泣いていることもある。というか、夜通し歩いていると、そういう瞬間が必ず訪れる。
きっと、忘れてはいけないものや忘れたくないものがどこかにあって、記憶の澱からそれらを呼び戻すために、感情の放熱を本能的におこなっているのだと思う。
僕の好きな作家・開高健は、ベトナム戦争で従軍取材をしているときにジャングルで奇襲され、わずかに生き残った一人となった。以後、残りの人生をおまけとし、その日を命日とし、静かに酒を酌み交わす夜としていた。
6434人の死は、数字でなく、それぞれが徹底的に個別的だし、そうであるからこそ、死を悼むイニシエーションも徹底的に個別的だ。
だから僕は歩く。
昨年は、病気からの回復途中だったので、神戸には行かなかった。
今年は、歩くのではなく、走っている。39kmを走れるようになるまでに恢復したのだと、生き残った者が、星になった大切な人たちに向けて、オレはまだ生かしてもらっているよ!と見てもらうために、走っている。
道中、数年ぶりに、同じところを目指して歩いているのだなと思しき人と並走することになり、一緒に写真を撮った。そういう人に巡り合うのは、ここ数年なかったことだから。
東遊園地のお祈りの場では、毎年、県立舞子高校の生徒さんたちが点灯の先陣を担ってくれていたけれども、今年はいなかった。
スタバは毎年無料でコーヒーを振る舞ってくれていたけれども、今年は見かけなかった。
マスコミは東遊園地の頭上にドローンを飛ばしていた。
変わっていくことは仕方がないことだけれど、変わらないものもあるし、嬉しい出会いもあるじゃないか。
そして、走ったほうがラクだということもわかった。歩くよりも時間が半分以下になるので、そのほうがラクなのだ。おかげで、わりと気持ちよく39kmを一気通貫で走りきった。
さて、今日は誕生日メシをゴチになってきます。
今年も楽しく元気にやります☆
みなさん、よろしく。

震災の夜(2020.1.17)
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