久しぶりに、高田郁の「銀二貫」を読み返す。
江戸後期、天満一帯を焼失させた大火事「天満焼け」から話ははじまります。寒天問屋を舞台とした商人たちの物語、人情話です。
この人の紡ぐ物語は料理や風景描写が秀逸で、一気に読ませてしまうテンポのよさもあり、僕は大好きです。
この時代の天神橋は勾配のきつい反橋であったこと、天満橋は無事が通り、その武士との無用の争いに巻き込まれたくない賢い商人たちはわざわざでも天神橋をわたったこと、八軒家浜には過書船や三十石船がたくさん出入りしていたこと、京と大阪を結ぶ船は川の流れの関係で下りのほうが半日早く、そのぶん船賃が倍だったこと…、天満青物市場の様子、そして焼けた天満宮の再建普請の様子…、天満から大川にかけての当時の風景がありありと浮かんできて、天満天神のガイドブックとしても読めてしまいます。
優れたテキストは映像喚起力に優れているテキストであると僕は思っていますが、高田郁の「銀二貫」もまた、まぎれもなくそういうテキストですね。
興味深いのは、物語全編を貫く、大阪商人の心得「始末、才覚、神信心」。この3つなくして店は大きくならないのだけれども、神信心がどういうものなのか、この物語ではきっちりと描かれています。これ以上はネタばらしになるのでやめときますが、人への愛情、仕事への努力、そして生きかたの誠実さが、この「始末、才覚、神信心」を通じて、ストンと腑に落ちるように描かれているのは、なんちゅーか、とてもありがたいですな。
ええ本です。
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