「水の文化史」

「水の文化史」

「水の文化史」富山和子
帯に、名著復活!とあるので、名の知れた人の名の知れた本なのかもしれないけれども、寡聞にして初見です。
まちの本屋さんで邂逅。平積みでなく、書棚から。
この年齢になると、それが自分に合った本かどうか、名著かどうかは、一瞥すれば大概わかるもんで、この本も、中公文庫の復刻本、表紙(の写真、フォント、レイアウト、装丁が放つ匂い)、タイトル、目次、第1ページ目の数行を斜め読み、それだけで300%以上の確率で名著だと確信しました。
4つのコンテンツに大別されていて、のっけから淀川のお話です。
ウナギの漁法である夜づけの話からはじまって、利根川が開拓と巨大開発の歴史が織りなす鈍刀の切れ味の川だと評し、翻って、淀川ははるかむかしから人々がきめ細かくかかわり合い、大陸と都を、日本海と都を、都市と都市を、農村と都市を結んで足繁く文物を往来させてきた、はなやかな川だと結ぶ。
大阪の庶民の日常生活は、水面とともにあった。
たとえば、飲み水がそう。水を売る商売の「水屋」があり、木箱や木桶を載せた水屋の水舟が水路を往来した。水舟が存在する一方で、肥桶を積んだ「肥舟」も往来した。大阪では都市と農村を結びつけていたのは、肥舟と、肥舟の通う水路であった。30万市民の屎尿は周辺の農家にとって、喉から手の出るようにほしい肥料であり、屎はいくら、尿はいくら、6歳以下のものはいくら、といった細やかな値段が決められ、下肥は主要な商品並みの流通体系をつくりだしていた。
八百八橋の大阪は、いわば水の上に立地された都市であり、全面的に水に依存する商業都市であればこそ、今日の僕たちが鉄道などで経験する「途中下車前途無効」というあの商法も、とうのむかしに、江戸時代に、水上で考え出された。
川筋にはいたるところに舟着場があり、そこには旅籠があり、遊女のいる遊び場があった。舟の旅は退屈なものだから、お客はよく途中で下船をする。そこに目を付けた増収策が「途中下船 切符前途無効」という制度だった。
淀川の交通を取り仕切った京の角倉家は、この制度によって大儲けした。もっとも、その角倉家は、一方で、嵐山の大堰川に命がけで堰をつくり、ノブレス・オブリージュの責を果たした…。
まだ読みはじめたばっかりだけれども、魅惑のテキストがとめどなく並んでいます。
民俗学的な視点から、川と水に視座を置いて、それでいて詩情を漂わせる筆致は、白洲正子を思わせます。
100を1にするような凝縮と削除、濃密で膨大な知見に裏打ちされ、かつ、情景喚起力のあるテキストに出会うのは、何物にも代え難い至福ですね。
姉妹版「水の旅」も同文庫から出ているようなので、そちらも読み進めるつもり。


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