平成の大修理も終わって1、2年経つことやし、今やったら空いてるやろと思い、宇治へ。平等院へ。
10円玉と同じ図柄で正面から撮影しようとすると、まあまあ後ろまで下がらんとファインダーに全景が収まらんのですが、池のヘリまで行って自撮りしてはる人がたくさんいるので、全景を収めつつ人も映り込まずの10円玉仕様の図柄を撮影するのは、不可能ですな。数年前は苦もなく撮影できたもんやけど。
焼けてないので、平安中期の11世紀の建物のまんまです。平等院はもとはそれはそれは大きな伽藍で、たくさんの堂宇があったとのことですが、京都のことなんで、建武のころに戦火にあってます。鳳凰堂だけが焼けずに残ったのだとか。
創建当時に大流行した終末論である末法思想を乗り切るために建てられたもので、極楽浄土を模してます。
ご本尊の阿弥陀さんは西側に配置されていて、相対する朝日山から昇る朝日が阿弥陀さんのお顔にバッチリ当たるように設計されています。仏法では、極楽浄土は、お日さんが沈む西、時間軸でいうと明日にあるので、極楽浄土を表した鳳凰堂も、訪れる人から見て西に配置されてます。堂の中には鏡がいくつも仕込まれていて、朝日が乱反射して、それはそれは煌びやかな世界が現出されるように設計されてます。
創建当時の堂内には極彩色の来迎図が9個描かれていて、さらに雲中供養菩薩が52躯。それぞれが楽器を奏で、さながらオーケストラのよう。
ときの関白、藤原頼通設計だけど、まーどんだけ極楽に行きたいねん!と。末法思想の終末論をまともに信じた人、死を心底恐れた男の必死さが、ここからは伝わってきます。もっとも、900年以上のときを経た今となっては、煌びやかさは色褪せ、ええかんじに鄙びた趣になってます。極楽浄土も、金銀乱舞から幽玄の世界に。すっかり毒気を抜かれたかんじ。
平成の大修理では、仏像と外観はリニューアルされても、壁画はそのまま。国宝なので、そこはいじらんそうです。
ここの阿弥陀さんは、当時の仏像製作に革命を起こした定朝の作です。
それまでは、一木造りであれ塑造であれ、最初から最後までをひとりの仏師がつくります。そういう時代に、定朝は、プラモデルタイプの寄木造りを推進し、しかもひとりではなく、多くの仏師をしたがえた工房での製作をおこないます。クラフトからマニファクチャリングへ。そういうつくりかたでつくられた仏像です。
思うんですが、たくさんの人をしたがえて工房を維持していくのは、もはや経営です。給料も払わんとあきません。一方で、ひとりの仏師がつくる場合は、ゼニカネが介在しない場合が多い。僧侶として活動しながら、その傍らで、あるいはその一環で仏像をつくります。
この、姿勢の違いこそが、良くも悪くも革命的やったように思うんですが、どやろか?
個人的には定朝作の阿弥陀如来にはそれほど興味はなくて、僕の目線は、その周囲を彩る雲中供養菩薩52躯に向いています。軽やかに雲に乗った52体の菩薩さんがそれぞれに楽器を奏で、踊り、オーケストラを構成している一群です。仏像として存在するのは、どうやらここだけのようです。このお方たちを見にきた、と言ってもいいくらい。
そのあとは、宇治神社、宇治上神社へ。
宇治上神社は、日本最古の木造神殿で、世界遺産に登録されてます。あっさりしたなかにも、清浄な空気をたたえていて、なんともいえん、ええ神社です。
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