人類の進歩と調和という口当たりのいいテーマにひとり反対して、進歩の象徴でもある大屋根の設計を変更させてまで真ん中をぶちぬいて、この、建築なのか彫刻なのか芸術なのかわからん、太古のものなのか未来のものなのかもわからん、言語化できないもんをつくることを、あの時代の役人と政治家が許したわけだ。
おかげで、人類遺産とでも言いたくなるほどのレガシーがあそこに残った。
’70年大阪万博とは、岡本太郎や小松左京や丹下健三たちだけでなく、20歳代を中心とする若き役人と政治家たちの、莫大な蛮勇と情熱と長き射程の視線を伴った、赤も青も白も黒も飲み込んだ航海の物語でもあったはずで、今の時代に、それと同等の成果を達成することができるとは、とても思えないな。

久しぶりの邂逅。圧倒的な存在感やね。
ロハスではなくて、みんぱくへ。

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