『14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』

『14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』。
川口加奈さんの本が出たので、手に取った。
つひまぶでホームレスの就労支援に取り組む女性起業家の川口加奈さんに取材したのは、2年ほど前のこと。シェアサイクル事業「ハブチャリ」だけではなく個室型宿泊施設「アンドセンター」の運営もすでに開始していて、川口さんとその拠点である「ホームドア」は、ホームレス問題をはじめとする社会問題を解決する社会起業家の旗手として、なんだかずいぶん眩しく見えた。僕が初めて川口さんに会ったのは10年近く前だが、そのときと比べても、ずいぶんと眩しく感じたのだった。
僕が初めて川口さんに会ったのは、僕が「大阪市の北区をグルグル巡るブログ」を運営しているころで、10年くらい前になるだろうか。川口さんのほうから僕にコンタクトがあった。まだハブチャリ事業のイメージだけがあり、自転車のメンテナンスをホームレスのおっちゃんたちに担当してもらうことでシェアサイクル事業を運営し、迷惑駐輪とホームレス問題の双方を解決するというアイデアを実現させようと奔走されているころだった。きっと、手当たり次第にいろんな人に相談していただろうが、彼女は僕のところにもやって来て、そのようなビジョンを意気揚々と語られた。語られたのだが、僕はそのアイデアにピンと来ずに、難しいんじゃなかろうか、といった否定的な意見を述べた。今思えば、自分の不明を恥じるしかないが、ホームレス状態から抜け出さないのはその人の勝手なのだから安易に手を差し伸べてはダメなんじゃないか? との思いを、多くの人同様、僕も持っていたからだ。
後年、川口さんに取材して、またこの本を読んで、ホームレス状態になったり、そこから抜け出せないは、自己責任論で片付けられるものではないどころか、根本的に認識が間違っている、ということがわかってくるのだけれども、そのときはそんなふうに思わなかった。まったくもって不明を恥じるしかない。
その後、川口さんとホームドアが、ハブチャリの取っかかりとして、家の軒先をちょっと貸してもらうように、社会実験的に短期間限定で企業にスペースを提供してもらい、シェアサイクル事業をおこなう「ノキサキ貢献」をはじめたときのことはよく覚えている。
この時期、僕は川口さんとはまったく接触がなかったが、僕自身も迷惑駐輪問題に取り組んで駐輪場map「YesPa(イェスパ)」に取り組んでいた時期でもあったので、「ノキサキ貢献」を注目していた。
「ノキサキ貢献」に協力したのは北区内と中央区内の企業で、用意されたmapには大阪市の局の名前がクレジットされていた。これにカチンと来たのが北区役所で、北区内で社会実験するのに北区役所がないがしろにされていると、苛立ちを見せた。また、北区内の企業が参加していることに対して、その地域の連合町会長が、挨拶がないと言い出した。何もしてない人たちが縄張り意識を持ち出して、世のためになることをやろうとしている若い人を苦々しく思うという、どうしようもなくしょーもない構図があったのだ。
そんなくだらないいざこざが川口さんの周辺で起こっていたころ、川口さんのホームドア内部では、主力として川口さんとともに活動してきたAさんが去ることになり、川口さんがひとりぼっちになってしまっていた。若い人たちはそれぞれに人生の岐路に立たされていたし、川口さんだって、けして揺るぎなく活動に邁進していたわけではないのだ。そんなことがこの本には書かれていて、僕が外から見ていた景色の裏にはこんなことがあったのだなということがわかって、少し心が痛んだ。
高校の全校集会でのスピーチ、親善大使、起業塾…。彼女の輝かしい経歴の裏には、決して揺るがない確信があって邁進してきたわけでないという、彼女の心の揺れが、この本には正直に書かれている。
ここ数年の彼女とホームドアの活動は、僕はこの本で書かれている以上のことは知らない。
「1回失敗したら終わり。それっておかしくない? 誰もが何度でもやり直せる社会をつくりたい」。
考え続けて、活動していくなかで、そんなふうに思うようになった彼女の言葉は、ホームレス問題を僕たちの自分事の問題に引き寄せてくれる。
この本が、ひとりでも多くの人に読まれますように。

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