今年、僕の視線は出雲を向いていて、出雲絡みの本をよく読んでいます。
その流れで今読んでいるのが有吉佐和子の「出雲の阿国」なのだけれども、そこでおもしろい記述に出くわしました。
のっけから、大阪天満宮が出てくるのです。
もちろん、時代は、戦乱の世が終わった太閤さんの時代。
寺町にある宝珠院(天満音楽祭の会場にもなっているお寺さん)が天満宮の神宮寺・菅原山天満宮寺でもあったころ、太閤さんの御伽衆(文化面での諮問機関)に就任していた社僧・梅庵がいました。
梅庵は非常に政治力に長けた人物で、伝統と社領では北野天神に遠く及ばない天満天神をもり立てるため、梅花祭を北野天神よりも1ヶ月早めたり、太宰府の天神でおこなわれていた鷽替(うそかえ)の神事を、おなじ日に天満でもおこなうようにし、梅花祭と鷽替の神事を重ねてしまった人物でもあります。
鷽替の神事は、鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、本年は吉となることを祈念しておこなわれる神事です。
太宰府では、おそらく参詣人のあいだでも荘重におこなわれる神事でしょうが、時代は、秀吉によって天下統一・天下惣無事が成し遂げられようとしている時代であり、新しい時代の中心になろうとしている発展途上のまちの気風からいっても、鷽替がもの静かにおこなわれる道理がありません。
境内の隅にはたくさんの仮小屋が建ち、さまざまな芸事が賑々しく繰り広げられていたと言います。
ただ、京の都であれば、平安以来の伝統で洗練された芸人が集まるものだけれども、当時の大坂はまだ文化が下々にしみとおるところまで進んでいません。
独楽回し、竹馬曲芸、催馬楽、琵琶法師による平家滅亡物語…、どれもが稚拙で、かつ古いわけです。
そんななか、梅庵は、どんな能楽の足拍子とも違う、片方の踵が地に着かぬうちに早くも跳ねて空に身を浮かせているように見え、脛は白萩の花が揺れるように見え隠れする…、そんな舞を見せる一団に出くわします。南無阿弥陀仏を唱えているので、踊り念仏と言えばそうだけれども、それにしては段違いに匂う色気が漂っています。
その一団の中央で踊る人こそ、出雲のお国です。
梅庵とお国が出会った瞬間が、有吉佐和子の筆によって、鮮やかに描かれています。
しかも、その舞台は、大阪天満宮なのです。
天満宮との関係が深い宝珠院の後押しがあって、出雲のお国が天満宮の境内で踊っていた可能性がある、と、半ば伝説に彩られた話を天満界隈で耳にすることはあるのだけれども、その真偽は、定かではありません。
そんな伝承も、熟練の小説家の筆にかかれば、鮮やかな光景として立ち現れてきます。
今、ワクワクドキドキしながら、この本のページをめくっています。
宝珠院
大阪市北区与力町1-2
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