「新東京漂流」

「東京漂流」が出版されたのが1983年。その続編になるのだろう「新東京漂流」が、「SWITCH」の今月号で展開されている。
インド放浪、チベット放浪、全東洋街道を歩いた写真家・藤原新也が、異邦人の目線で見た東京は、バブルの喧騒とは裏腹の、管理されゆくニッポン、正体不明の、来たるべき閉塞感を予感させるものだった。当時、「東京漂流」は、あの当時にやはり閉塞感と孤独を抱えていた僕にとっては、マイルストーンのひとつだったように思う。「印度放浪」や「全東洋街道」と出会う以前のことだ(よく誤解されるのだけれども、僕は、藤原新也や沢木耕太郎を読んで旅に出たわけではない。彼らの旅モノ著作を知ったのは、旅の最中でのことだ)。
以降、長いあいだ、僕は藤原新也を必要としなかったし、彼の作品を追いかけなくなって久しいけれども、今月の「SWITCH」誌上で彼の作品を見かけて、何年かぶりに手にしてみた。
写真は、あの当時も今も変わらず、アンダー気味だ。思えば、僕自身にややアンダー気味の写真を撮るクセがあるのは、おそらく、彼の影響だ。
彼がフォーカスを合わせる対象は、「東京漂流」のころと、何も変わっていないと思う。たっぷりと警鐘が鳴らされ、心をイラつかせる正論がある。
ただ、「新東京漂流」には「東京漂流」にはなかったものが、ほんの少しだけれども、あるように思える。ここには、儚いながらも、希望、のようなものがあるように思えてならない。
さっしーがフォーカスされた表紙の写真は、彩度こそ低いけれども、さまざまな物語を内包しているように感じられて、グッとくる。

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